日本のみなさまへ                                                  
                                2011年8月、ワルシャワ                                              

 
東日本大震災で被災されたかたがたへ、心よりお見舞いを申し上げます。
 
復興へ向かいたいのに原発の問題が道を大きくふさいでいる。日本のことを本当に心配しています。
 
震災後、全身全霊でのチャリティーコンサートの経験から、すべてをかけた私の演奏がお客様の心をその時間幸せにできても、その後はまた原発への不安に引き戻されてしまう。チャリティーで心と義捐金をお届けできても、そのお金で水や野菜や魚などの汚染をきれいにもとに戻すことはできない。命の危険を救うことはできない。そうした事実と向き合わざるを得ず、無力感にさいなまれています。

 日本での演奏活動を一時休止いたします。

 4月17日時点で収束までの見通しは「半年ないし9ヶ月」とのことでしたので、12月頃には大丈夫かしらと淡い期待を寄せていましたが、その後次第に明らかになっている実際の状況にショックを受け、打ちのめされています。世界の核の専門家・医師にもアドヴァイスを求めましたが、想像以上の厳しさでした。
 チェルノブイリの大惨事ではヨーロッパのかなりの部分が汚染されました。半減期を考えてもまだ25年しかたっておらず、私の住むワルシャワはチェルノブイリから630キロほどしか離れていません。ウクライナ人の友人からもさまざまな話を聞きます。かつてホールボディカウンターの測定を受けた経験もあり、自分がここに住む人間として相応の状態であることを知っています。
 また私は自分の喉や肺が弱いことを自覚しています。婦人科系疾患もあり、数年前からはアレルギーに苦しみ、免疫力の不安があり、病のつらさと悲惨さをいくらか知ってもいます。私の弱い内臓にとり今の状況は危険が大きく、プルトニウム他を吸い込むことがこわくてたまりません。また低線量被曝による脳細胞の破壊、運動神経系統の障害の事実とチェルノブイリでの実際例(脳がそこへ手を動かそうと指令を出しているつもりなのに、少しずれたところまでしか実際の手が行かない)を知り、私は「ドからドへ指を運ぼうとしてもシまでしか行かない」という夢を見てしまいうなされています。
 「こんな時こそ日本に帰って皆と心をともにし、演奏して励まさないでどうする」「弾きたい、みんな待っててくれる。行かなくちゃ」と必死で思い、でも私のからだは「でも、(被曝後の状態に)とても耐えられない」と悲鳴を上げています。音楽と日本への愛と強い気持ちで放射能を跳ね返せたらどんなによいか。でも人間は放射能には絶対に勝てないのです。
 私でさえこのように感じるのですから、みなさまは日々どんなに不安でいらっしゃることかと思います。いうまでもなく、人間は被曝をするべきではありません。簡単でないことを十分承知の上で、それでももしできることなら危険から少しでも遠くへ離れてほしいと願います。日本人に病気になってほしくありません。
 憲法で定められている生存権さえ脅かされる状況の中、ヨーロッパも汚染されていますが、より危険の少ないものであればと思い、日本へお水や食料を送っています。これからもお送りします。
 またショパン全曲演奏・全曲録音とともにライフワークであるナショナル・エディション日本語版翻訳も、まだあと35巻分の仕事が残されています。すでに出版された2タイトル(即興曲およびポロネーズ作品22)以外の残りの巻は、これからすべてPDFで無料閲覧していただけるよう、また暫定訳もインターネットで見ていただけるよう方法を考え現在準備しています。 

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 もうかなり前のことです。ある日地震をきっかけに浜岡原発の危険性を知り、また、この地震国日本に50基以上の原発があることもわかり、いてもたってもいられなくなりました。それまで必要性を感じていなかったのに、冷静に考えて今後は必要だと悟り、ヨウ素剤とガイガーカウンターを購入しました。届いたヨウ素剤は妹にも分け、常に鞄に携帯するようになりました。
 北海道の泊から九州の玄海まで、どこも原発事故の危険から逃れることはできず、もしものためのヨウ素剤を肌身離さず全国のコンサートに飛び回る日々。こんな異常な状況に悲しみながらもそうせざるを得ず、そのうちに月日は流れヨウ素剤の期限も切れましたが、今思えばそんな異常な状況を変えるため、自分はごく微力でも、感じていた危機感と本能を信じて当時からもっと声を上げればよかったと思います。
 震災後すぐ浜岡停止要請の署名をし、4月には必死の思いでポーランドから中部電力に電話したりもしました。広河隆一さんの呼びかけによる「日本の原発の即時停止を求める言論文化人の会」にも賛同しました。これらはすべて私にとって生まれて初めての行動です。
 チャリティーコンサートで全力を尽くす経験から、全身全霊の演奏のみでは日本を救えない、原発の不安は減らない、土や水や野菜や魚の汚染は決してもとに戻らないことをはっきりと悟りました。日本の命をつなぐためには、演奏だけでなく、私たちは声を上げ続けるしかありません。
 
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私のふるさと岡崎のみなさまへ
 
 上記の健康上の理由から日本での演奏活動の一時休止を決心し、岡崎市のかたに全曲演奏会とマスタークラスのシリーズのストップをお願いいたしました。これまでの人生でこんなにつらいことはなく、胃を引きちぎられるような思いです。
 平和そのものの岡崎では、この私の決断に驚かれるかたもいらっしゃると思います。実はもう日本だけの問題ではないのですが、それでも希望だけは失わずにいようと思います。 
 9月3日、ガラコンサート当日には心からのおわびの気持ちをこめて、お客様全員へサインしたカードをお贈りいたします。これから1枚1枚書き、ポーランドから8月中にコロネットに到着するようにお送りいたします。当日受付でプログラムとともにお客様のお手元に届くようお願いしてあります。 
 また6月(12月)のために準備していてくださっていたマスタークラス受講者3人のかたのために、アップルのフェイスタイムまたはスカイプを使い、ワルシャワからそれぞれ自宅レッスンをしてあげたいと思います。
 毎年ホールで展示していただいているショパンのデスマスク、左手のレプリカ、自筆譜ファクシミリや古い書籍など、現在私の実家にあるショパン・コレクションは、岡崎のリブレまたはコロネットで市民のみなさまに常時ごらんいただき、役立てていただければと思います。ずっと前から、将来は私の所蔵するショパン関連資料・書籍・楽譜他を岡崎市にすべて寄贈したいと考えていました。
                                               再会できます日まで
                                               涙とともに
                                                    河合優子